プレスリリース

新横浜ラーメン博物館、30周年記念プロジェクト「あの銘店をもう一度」開催

新横浜ラーメン博物館(横浜市港北区、代表取締役:岩岡 洋志)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗の銘店が出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を開催。2022年11月7日(月)からは、1994年のラー博開業時の8店舗が(現在出店中の熊本「こむらさき」を除く)、3ヶ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタート。

“94年組”第2弾・環七「野方ホープ1994」に続く第3弾として、2023年7月20日(木)~10月22日(日)まで、「名代ら~めん げんこつ屋1994」が出店します。今回の出店では、創業者のご子息である二代目・関川 匡仁氏(※)により“親父の志と味を伝える”という想いのもと、1994年当時の味を再現します。

詳細は下記をご参照ください。

※匡仁の匡は「匚」に「玉」

父の想いを二代目が繋ぐ “伝説のダブルスープ”

各シリーズの出店の流れ

●げんこつ屋の歴史

創業者の関川 清(1945年12月18日東京生まれ)氏は、昭和43年、23歳の時に神奈川県戸手町に弁当店を開業。お店は大変繁盛していましたが、より大きな可能性をラーメン店に感じていたため、多い日には1日5~6軒食べ歩き、また、科学の実験のように様々な食材を少しずつ組み合わせるなど研究に研究を重ねた末に、1980年(昭和55年)4月、新高円寺駅にげんこつ屋を創業。僅か6坪、カウンターのみ13席の小さなお店からのスタートでした。

げんこつ屋 創業者・関川 清氏(1992年撮影)

げんこつ屋 新高円寺本店(1993年撮影)

ラーメンを大衆食ではなく料理であると考えていた関川氏は、試行錯誤を重ねた結果、和風スープと白湯スープの組み合わせがベストだという結論を出しました。鶏、豚、背脂、香味野菜などを約12時間煮込んで白濁させた白湯スープと、マグロ節と利尻昆布でとった和風スープをブレンドするWスープ。90年代後半から2000年前半に一世風靡した白湯×和風のスタイルは、既にこの時点でげんこつ屋により考案されていました。

スープを研究する関川氏(1989年撮影)

また、女性客、家族が気軽に入れるよう、衛生管理を徹底し、和の要素を取り入れた内装を手掛けました。店内ではラジオやテレビ中継でなく、ジャズを流し、90年代後半のラーメンブーム時に広まった内装やスタイルを、昭和の時代から取り入れていたのです。

●新横浜ラーメン博物館への出店

ラー博への出店に関しては、他のお店同様に簡単にはいきませんでした。「ラーメンの博物館」というコンセプトには興味をもっていただけたようなのですが、最大の問題点は「ラー博へ出店するためにはセントラルキッチンが必要」という点でした。当時使用していたセントラルキッチンでは、都内に構えていた全4店舗分しか賄えず、ラー博へ出店するためには新たにセントラルキッチンを作る必要があったのです。それを受け、岩岡(館長)は新横浜にセントラルキッチンを作ることを約束。これが決め手となり、当館への出店に合意していただくこととなりました。関川氏曰く「ここまでして私たちのお店を必要と考えてくれるのであれば是非その期待に応えたい」と思ったとのことです。

ラー博店の店長として指名されたのは、関川氏の長男である匡仁(まさひと)氏。この時弱冠22歳でした。

ラー博店外観(1994年撮影)

ラー博グランドオープン時の関川親子(1994年撮影)

関川氏は「自信を持って店長になってほしい、そのためには自分で生み出すという経験が必要」と考え、「新メニューの開発」という課題を課しました。そうして誕生した「豪快ら~めん(塩)」は、ラー博出店がきっかけで誕生したメニューであり、その後もげんこつ屋の2枚目の看板メニューとして人気を博しました。

豪快ら~めん(塩)

●新横浜ラーメン博物館 卒業後

東京以外にもさらなる店舗展開をしていきたいという考えのもと、げんこつ屋は2000年2月13日をもってラー博を卒業。その後、最大17店舗を展開するまでに成長し、げんこつ屋は名実ともに有名店となりました。また、関川氏は更なる質の向上を目指し、巨額を投じて水質にこだわったセントラルキッチンを作りました。しかし、拡大路線と巨額の投資に対しての回収が出来ず、2007年7月に倒産。「げんこつ屋」の歴史は27年で幕を下ろすこととなりました。

倒産後、関川親子は2008年1月に東京の田町に新たなお店「一本の道」をオープン。

それを見届けた関川氏でしたが、その後、心労がたたり、体調を崩し急逝。ショックの中、匡仁氏は「親父の味を伝え続ける」という想いを強くしました。

げんこつ屋が幕を閉じてから3年が経ったある日、岩岡(館長)は、匡仁氏にげんこつ屋の復活を持ちかけました。「まだまだ父親の域には達していない。げんこつ屋という看板でやるのはまだ早い」との理由で一度は断られましたが、幾度となく匡仁氏を訪ねたある日、「げんこつ屋の味を待っているお客さんに応えたい、そして親父の志を伝えたい。けれど“げんこつ屋”の看板はまだ重いので、“二代目げんこつ屋”としてなら出店を考えたい」との返事をいただきました。こうして2011年4月20日、“二代目げんこつ屋”として関川氏の味がラー博に復活しました(2019年2月11日に卒業)。

岩岡館長と関川 匡仁氏

「二代目げんこつ屋」外観(2011年撮影)

●16年ぶりに「げんこつ屋」復活 ~94年当時の味の再現~

看板メニュー「げんこつら~めん」

「あの銘店をもう一度」では、二代目ではなく「げんこつ屋」として復活していただきます。げんこつ屋は2007年に幕を閉じているため、実に16年ぶりの復活となります。

そして、当企画のコンセプト通り、1994年当時の味を再現したラーメンをご提供します。

関川 匡仁氏「この16年、親父に追いつこう、追い越そうとか色々考えましたが、肩ひじ張らず、シンプルに“親父の志と味を伝える”という想いをもって臨みたい。ラーメンは大きく変わっているわけではないのですが、脂の量や、スープのブレンド等、細かい点が変わっています。とにかく初心に戻り、親父を思い浮かべながら“げんこつ屋”の看板として恥ずかしくない味を提供します」

二代目・関川 匡仁氏

・スープ

鶏・豚・香味野菜をじっくりと時間をかけて白濁させた創業以来の白湯スープに、げんこつ屋の代名詞“マグロ節”と利尻昆布からとった和風スープをブレンド。関川氏が研究に研究を重ねて編み出した料理としてのスープです。そして、脂は時代と共に量を減らしましたが、今回は94年当時と同じように、スープに蓋をするくらいの量を使用します。

研究に研究を重ねて編み出した料理としてのスープ

・麺

かんすい少なめの多加水(麺に加える水の量が多い)麺。

ソフトでもちもちとした食感でコシのある麺はスープと絡んだ時、最高のハーモニーを奏でます。

ソフトでもちもちとした食感でコシのある麺

・具材

シンプルではありますが、一番気にかけているのはチャーシュー。

やはりラーメンの具材の王道はチャーシューであり、豚の選定から調理方法、そしてフレッシュさを大事にしています。

フレッシュさを大事にしたチャーシュー

「げんこつ屋」の更に詳しい情報はこちら

https://note.com/ramenmuseum/n/nf44e7316c775

あの銘店をもう一度

「あの銘店をもう一度“94年組”」の第4弾以降は順次発表させていただきます。

過去のニュースリリースはこちら

https://www.raumen.co.jp/information/release/