京福電気鉄道株式会社(本社:京都市中京区、社長:大塚憲郎)の嵐電(嵐山本線・北野線)沿線でも屈指の古刹として知られる覚雄山(かくゆうざん)鹿王院(ろくおういん)(京都市右京区)では、京都市指定名勝の庭園に佇む舎利殿(または駄都殿(だとでん))が、1763年の移築以来初となる大規模修復を終え、本年10月に落慶しました。
京福電気鉄道は経営ビジョン「沿線深耕」をテーマに、沿線の隠れた名所のご紹介を通じ、地域の魅力の発信と観光分散化に取り組んできました。舎利殿修復落慶を機に、室町幕府第3代将軍・足利義満が、鹿苑寺(金閣寺)に先がけて建立、鎌倉の円覚寺舎利殿ともえにしを持つ鹿王院に、この秋、公共交通機関をご利用いただきぜひお参りください。
京福電気鉄道は経営ビジョン「沿線深耕」をテーマに、沿線の隠れた名所のご紹介を通じ、地域の魅力の発信と観光分散化に取り組んできました。舎利殿修復落慶を機に、室町幕府第3代将軍・足利義満が、鹿苑寺(金閣寺)に先がけて建立、鎌倉の円覚寺舎利殿ともえにしを持つ鹿王院に、この秋、公共交通機関をご利用いただきぜひお参りください。
鹿王院「舎利殿」の修復事業
1.鹿王院とは ~ 南北朝時代や江戸時代前期の建造物が残る嵐電沿線屈指の古刹
足利義満が自らの延命長寿を祈願し、天龍寺などを建立した夢窓疎石(むそうそせき)の甥・後継者で、帰依していた禅僧・普明国師(ふみょうこくし)(春屋妙葩(しゅんおくみょうは))に命じ1380年に建立させた、「覚雄山 大福田 宝幢禅寺(ほうどうぜんじ)」の開山塔(開山である普明国師(春屋妙葩)の墓所)が鹿王院です。
南禅寺・天龍寺・相国寺などの五山に次ぐ「京都十刹(じっさつ)」第五位となり、1405年には一休宗純も門前での講義を聞きに訪れた宝幢禅寺は、応仁・文明の乱(1467年~1477年)で焼失。宝幢禅寺は断絶しましたが、鹿王院だけは春屋妙葩一門により再建されました。豊臣政権時代、1596年の慶長・伏見大地震で伽藍が倒壊しましたが、江戸時代前期の1676年に昭堂(開山堂と本堂)を再建、江戸時代中期の1763年には舎利殿を現在の場所に移築、今日に至っています。
南禅寺・天龍寺・相国寺などの五山に次ぐ「京都十刹(じっさつ)」第五位となり、1405年には一休宗純も門前での講義を聞きに訪れた宝幢禅寺は、応仁・文明の乱(1467年~1477年)で焼失。宝幢禅寺は断絶しましたが、鹿王院だけは春屋妙葩一門により再建されました。豊臣政権時代、1596年の慶長・伏見大地震で伽藍が倒壊しましたが、江戸時代前期の1676年に昭堂(開山堂と本堂)を再建、江戸時代中期の1763年には舎利殿を現在の場所に移築、今日に至っています。
2.「鹿王院」の名前の由来は ~ 足利義満の命名
寺号「鹿王院」の由来には、造営の折に野鹿の群れが現れたことによるという説と、釈迦が初めての説法(初転法輪(しょてんほうりん))を行ったインド・サールナートの、鹿が多く棲む林(鹿野苑(ろくやおん))にちなんだという説があります。
なお、足利義満は、自らが開基となって建立した相国寺に、禅の道場として塔頭「鹿苑院(ろくおんいん)」を創建しました。義満の法名は「鹿苑院殿」であり、義満の御所であった北山殿は、その後「鹿苑寺」(金閣寺)となりました。
なお、足利義満は、自らが開基となって建立した相国寺に、禅の道場として塔頭「鹿苑院(ろくおんいん)」を創建しました。義満の法名は「鹿苑院殿」であり、義満の御所であった北山殿は、その後「鹿苑寺」(金閣寺)となりました。
3.鹿王院舎利殿とは ~ 仏牙舎利を収め、鎌倉の円覚寺舎利殿とも深いつながり
現在の鹿王院舎利殿は、江戸時代中期、1763年に移築・建立された、禅宗寺院の建築様式「禅宗様」を基調とした建物です。
舎利殿とは、釈迦が荼毘に付された時の遺骨や遺灰を奉安する建物で、鹿王院舎利殿には仏牙舎利(ぶつげしゃり)(歯)が収められています。この仏牙舎利は、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が宋から取り寄せ、鎌倉の円覚寺舎利殿に収めてあったものの一部で、後光厳天皇(ごこうごんてんのう)の命で京都に献じさせ、天皇から普明国師に下賜されていたものです。
毎年10月15日は「舎利会(しゃりえ)」として、仏牙舎利を公開しています。
舎利殿とは、釈迦が荼毘に付された時の遺骨や遺灰を奉安する建物で、鹿王院舎利殿には仏牙舎利(ぶつげしゃり)(歯)が収められています。この仏牙舎利は、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が宋から取り寄せ、鎌倉の円覚寺舎利殿に収めてあったものの一部で、後光厳天皇(ごこうごんてんのう)の命で京都に献じさせ、天皇から普明国師に下賜されていたものです。
毎年10月15日は「舎利会(しゃりえ)」として、仏牙舎利を公開しています。
4.舎利殿の修復事業 ~ 舎利殿移築後258年目にして初の大規模修復
今回の修復は、舎利殿が今の場所に移築されて258年目となる2021年の1月から始まり、2023年10月に完了しました。250年を超える歴史に加え、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や近年の台風などによる傷みを修復すべく、約20年前から検討を始め、今回、京都府教育委員会の指導のもと、京都府及び京都市の補助を受けて施工されました。
屋根瓦の全面葺き替え、建物内外の壁の塗り直しをはじめ、経年で傷んだ箇所を修復、嵐山を借景とする往時の美しい姿に甦り、本年10月1日から3年ぶりに公開を再開しました。
屋根瓦の全面葺き替え、建物内外の壁の塗り直しをはじめ、経年で傷んだ箇所を修復、嵐山を借景とする往時の美しい姿に甦り、本年10月1日から3年ぶりに公開を再開しました。
鹿王院境内
1.山門
宝幢禅寺の山門として1379年に建立された、鹿王院最古の建造物。「覚雄山」の扁額は足利義満直筆と伝わります。
2.参道
鹿王院の特徴のひとつ、山門から続く長い参道は、紅葉の名所でもあります。都会の喧騒から次第に離れ、静かな禅の世界にいざなってくれる参道です。
3.庫裏・客殿
庫裏は江戸時代前期1660年代の再建、客殿は1890年の再建です。客殿に掲げられた扁額の「鹿王院」の文字も、足利義満直筆と伝わります。
4.庭園
前庭・本庭・後庭があり、舎利殿があり、寺の中心に位置する本庭は、江戸時代初期の作とされる平庭式枯山水苔庭で、1763年の舎利殿移築に合わせ一部が改築されています。
嵐山の峰々を借景に、樹齢300年を越える木斛(もっこく)や、庭園南面の沙羅双樹(さらそうじゅ)など、配置された樹木も庭景を構成する大事な要素になっています。嵐山を借景に、庭と建物が一体となった庭園として、京都市指定名勝となっています。
嵐山の峰々を借景に、樹齢300年を越える木斛(もっこく)や、庭園南面の沙羅双樹(さらそうじゅ)など、配置された樹木も庭景を構成する大事な要素になっています。嵐山を借景に、庭と建物が一体となった庭園として、京都市指定名勝となっています。
5.昭堂(開山堂と本堂を兼ねる建物)
慶長伏見大地震で倒壊した後、1676年に再建されました。本尊の釈迦如来像(14世紀・南北朝時代作)、十大弟子像(13世紀・鎌倉時代作)、開基・足利義満像、開山・普明国師像などが安置されています。
6.茶室「芥室(かいしつ)」
往年の映画俳優で、嵐山に大河内山荘を作ったことでも知られる大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)は鹿王院と仏縁があり、離れの間を鹿王院に寄贈しました。現在、茶室として利用されています(通常非公開)。
覚雄山鹿王院
京都市右京区嵯峨北堀町24
アクセス <鹿王院へは公共交通機関でお越しください>
嵐電(京福電気鉄道嵐山線) 嵐山本線「鹿王院」下車 徒歩約3分
JR嵯峨野線 「嵯峨嵐山」下車 徒歩約7分
京都バス・京都市営バス 「下嵯峨」下車 徒歩約3分
アクセス <鹿王院へは公共交通機関でお越しください>
嵐電(京福電気鉄道嵐山線) 嵐山本線「鹿王院」下車 徒歩約3分
JR嵯峨野線 「嵯峨嵐山」下車 徒歩約7分
京都バス・京都市営バス 「下嵯峨」下車 徒歩約3分
拝 観
拝観時間 午前9時~午後5時(無休)
拝観料 おとな400円、小・中学生200円
宿 坊(予約制)
女性専用の宿坊あり(1泊朝食付き)
公式サイト
https://rokuouin.com/
お問合せ・宿坊のご予約
℡ 075-861-1645 (日本語のみ対応)
夜間特別拝観2023
拝観期間 2023年11月10日(金)〜12月17日(日)
月曜日は除きます。
拝観時間 17:30-20:00(最終受付時間 19:30)
拝 観 料 2,500円(お茶と茶菓子付き)
●事前予約制、各日150名様まで。
●平日には伝統芸能をテーマにしたおもてなしとして、狂言面を付けた役者が境内の竹林や庭に登場します。(約20分ごと)
●詳細及びお申し込みは鹿王院夜間特別拝観2023特設サイトをご参照ください。
https://mzt3p.hp.peraichi.com/
月曜日は除きます。
拝観時間 17:30-20:00(最終受付時間 19:30)
拝 観 料 2,500円(お茶と茶菓子付き)
●事前予約制、各日150名様まで。
●平日には伝統芸能をテーマにしたおもてなしとして、狂言面を付けた役者が境内の竹林や庭に登場します。(約20分ごと)
●詳細及びお申し込みは鹿王院夜間特別拝観2023特設サイトをご参照ください。
https://mzt3p.hp.peraichi.com/